味噌六誕生の物語

感動を通して
人と人とがつながる「文化」を作りたい。

 

こんにちは、ここ地元岡崎で先祖代々太鼓屋を営む三浦太鼓店の六代目彌市です。「味噌六太鼓」は、地元岡崎、「カクキュー八丁味噌」、「まるや八丁味噌」さんで実際に味噌仕込み桶として150年以上使われてきて、その役目を終えた桶の「底板」を再利用して大きさ6尺6寸(直径2メートル)の太鼓を多くの方々の力を借りて共同で製作し、祭りで担ぎ上げるという2017年に誕生した一大プロジェクトです。
 

八丁味噌仕込み桶を再利用

 
再利用と言っても、そのまま古い桶に太鼓の皮を張るのではなく、使うのは「底板」。150年たっぷりと味噌が仕込まれた底板からは、美味しい味噌の香りが漂ってきます。

 

使うのは厚くて丈夫な「底板材」

 
何トンもの荷重がかかる「底板」というのは、厚くて丈夫で良い材料が使われていました。そこに目をつけ、底板を再利用することで桶が作れるのでは?と考えたのです。
 

底板から製材して桶の材料へと

 
これを、再度板状に製材して桶を作る材料に仕立てていきます。そしてこのプロジェクト最大のカギは、太鼓製作を市民を中心とした一般の方々に協力してもらいながら作るということ。
 

一人のチカラでは成し得ない大きなコト

市民を中心に多くの方々のチカラを借りて製作

 
そこには、太鼓作りという「伝統」を通して培われてきた先人たちの素晴らしい「知恵」をたくさんの方々に感じてもらいたい、、、そんな願いがあったからです。一人のチカラでは決して成し遂げられない大きなことを立ち上げることで、そこには必ず「協力」が生まれる。そうやって人と人との「輪」を広げ、先人たちの「知恵」を感じてもらいたかったのです。
 

 「味噌人会」会長/ 三浦太鼓店六代目彌市

味噌六太鼓の製作工程フォトダイアリー

味噌六太鼓ができるまで

一人のチカラではできない大きなコトも、みんなのチカラを合わせて。

味噌六太鼓作りは、竹の切り出し、担ぎ棒の切り倒しから桶胴作り、皮縫い作業、塗り、組み付けと全ての工程を老若男女問わず、多くの方々に協力いただきながら製作しています。以下製作工程をご紹介♬

 

「タガ」用竹の切り出し

タガの材料となる「真竹」を冬の時期に切り出す。
 

底板から製材した板を削る

底板から製材した板を1枚1枚削っていく。
 

竹を割り「タガ」を編む

切り出した竹を割って「タガ」を編む。
 

桶を組み立てる

削った板を組み立て桶の形に成型する。
 

桶胴にタガをはめる

組み上げた桶に編み込んだ「タガ」を締めていく。
 

1頭の牛皮から皮を裁断

片面につき1頭分の牛皮を裁断します
 
 

裁断した皮を踏んで伸ばす

しっかり踏んで皮を伸ばす
 

麻糸を使って縫い上げる

麻糸を使って皮を縫い上げる
 

三つ葉葵の紋を入れる

打面に三つ葉葵の紋を塗ります
 

完成した胴にえ油を塗る

胴にえ油を塗って仕上げます:太田油脂さん提供
 

胴の中に記録を残す

胴内には関わってくれた全ての人の名前が残されています
 

皮と胴をドッキング

200mのロープを使って太鼓を組み上げます
 

担ぎ棒の切り倒し裁断し

地元額田の赤松さんの山から杉の丸太を切り倒します
 

担ぎ棒を削る

切り倒した杉を1本1本担ぎ棒へと削って仕上げます
 

味噌六太鼓台完成!

数多くの工程を経て味噌六太鼓台は完成します

味噌六太鼓台とは

 
八丁味噌を醸した味噌桶材を再利用し、
徳川家の家紋である三つ葉葵の入った太鼓を
「味噌六太鼓」と申し、
 
その太鼓をご神体として
担ぎ棒の上に鎮座させたのが
「味噌六太鼓台」です。
 
全国各地から天下泰平(平和)を 願って
人々が集い、
太鼓台の担ぎあげを行う祭礼行事です。
 
徳川家康公が築き上げた江戸期は、
265年以上続き
長期安定政権の基盤を確立し
「元和偃武」とよばれる平和な時代を築きました。
 
家康公が江戸城に入城をした
天正18(1590)年「8月1日」
(八朔・はっさく)を祝い、
味噌六太鼓台を担ぎ上げます。
 
味噌六太鼓台のもとに、
人々が集い協同し担ぐことで
 
地域・国・宗教をも超えて繋がり、
一つになる事で平和を祈願します。
 
まつりに迎えた人々は、
担ぐほどに穢れを祓い次第に神化し
太鼓台は神の依り代となり、
 
神を囃す役割を担う味噌六太鼓の
軽やかな音色と、
 
担ぎ手の掛け声とともに さらに一体化し
見る者やすべての人・物と繋がっていきます。
 
 
これらを通じて世代間及び地域を
超えた交流が盛んに行われることで、
 
人・物のコミュニティの形成の一端を担い
人と人とが協同し繋がる喜びを育み
 
平和への架け橋の一端を担っています。